生越 由美 教授 Yumi Ogose
技術&文化を活用して
企業のビジネスの優位性を
構築する
大学4年で国家公務員上級甲種に合格し、1982年に東京理科大学薬学部卒業後、経済産業省特許庁入庁。2003年政策研究大学院大学助教授を経て、2005年東京理科大学専門職大学院教授(現職)。2006~2014年放送大学教授(兼任)。伝統&先端技術、農業&医療分野の知財戦略を研究。公職歴は知的財産戦略本部コンテンツ・日本ブランド専門調査会委員など。著書は『社会と知的財産』(共著/財団法人放送大学教育振興会)や『地理的表示保護制度の活用戦略』(単著/一般社団法人金融財政事情研究会)など多数。2006年度東京財団研究助成対象、2008年(財)機械産業記念事業財団第1回知的財産学術奨励賞(日本知財学会特別賞)受賞。サンケン電気株式会社社外取締役(2023年6月~)、株式会社マナック・ケミカル・パートナーズ社外取締役(2024年6月~)。
教員の志史
─ 情報、法改正、大学、地域資源、農業、伝統技術の次のテーマは? ─
<情報>
私は大阪で生まれ、小学校1年生の時に東京に引っ越しました。幼稚園の頃は身体がとても弱く、小児科の医師から「定期券を発行しようか?」と冗談を言われるほどでした。
この小児科の待合室で遭遇したのが自分と同年代のサリドマイド児たち。彼らはどうして手の長さが短いのかなと不思議に思いました。
小学校の頃から理数系が好きで、小学校4年生の夏休みは対角線の公式を、5年生の夏休みはカビの研究をしていました。6年生の夏休みは「岩波新書から選んで読書感想文を書きなさい」という夏休みの宿題が私にとって頭痛の種でした。
長い文章を読むのは苦手なので、本屋さんで楽に読めそうな岩波新書を探しました。『薬─その安全性』という本は文章が短かったので買って貰いました。 この本を読んで驚きました。「サリドマイド児」が誕生した理由が詳しく書いてあったからです。「サリドマイド」はドイツで発明された風邪薬で、この薬を妊娠中の女性が服用すると子供の手が短くなるなどの催奇性障害が起こると知りました。ようやく幼稚園時代の疑問が氷解しました。
同時に、衝撃的な事実を知りました。それは、サリドマイドの副作用を発見したのはドイツ人だったのですが、ドイツ国内では副作用情報が生かされず、薬の販売が続けられ、多くのサリドマイド児が誕生しました。ところが、米国は食品医薬品局(FDA:Food and Drug Administration)はこのドイツの論文情報に基づいてサリドマイドを販売させなかったため、米国ではサリドマイド児が誕生しなかったのです。
日本はドイツと同様に副作用情報が生かされず、多くのサリドマイド児が誕生しました。副作用情報が適切に利用されない社会に子供ながら怒りを感じました。なぜドイツ国内で情報が利用されなかったのか、なぜFDAは世界に警告をしなかったのか、なぜ世界はこの重要な情報に気がつかなかったのか。 「情報」に目覚めた瞬間でした。
<法改正>
そこで薬の副作用情報の仕事をしたいと考えて大学は東京理科大学の薬学部に進み、国家公務員試験を受け、公務員になり、厚生省に行く予定でした。しかし「特許庁にはたくさんの情報があるよ」と官庁訪問の説明を受けたら、通商産業省の外局の特許庁志望に鞍替えしました。
1982年に特許庁に入庁すると、「プログラム」と「生物・遺伝子」という新しい情報が待っていました。特許庁に特別法を所管させ、プログラムを審査させる案が浮上し、庁内で議論されましたが、国会は著作権法で保護すると決めました。その後、著作権法の保護だけでは足りず、2002年にプログラムは「物」の発明とする特許法改正がなされました。新しい技術が保護されるのに20年以上もかかることに衝撃を受けました。
私が担当したのは1998年以降の法改正で、書記課(現審判課)の課長補佐の時でした。10年以上も審理にかかっていた「無効審判の迅速化」と「裁判所との情報交換」と「審判書記官」に関する改正でした。
法改正の威力は大きく、無効審判の請求理由の要旨の変更を禁止する条文の制定により審理期間は1年以内となりました。「法律は劇薬」だと思いました。
他方、「口頭審理(裁判所のような法廷で当事者が直接主張し合う形式の審理)」が全く使われていなかった(年1~2回)ので、米国や欧州やドイツの裁判所を調査して、口頭審理の説明ビデオを作製しました。現在、年150回くらい審判廷で口頭審理は開催されています。「法改正しなくても社会は動く」と学びました。
<大学>
法改正の担当をすると、全国の説明会に赴かなければなりません。ちょうど民事訴訟法の改正に合わせる特許法改正も説明しなければならなかったので、「5分で分かる民事訴訟法、5分で分かる審判に関する特許法」のコンセプトで説明したら、説明会を褒める郵便物が100通以上も特許庁の総務課に届いてびっくりしました。
法改正の担当部署を卒業したら、2002年4月から信州大学大学院の技術経営研究科(MOT)の非常勤講師を兼任することとなりました。自分の意志ではなく「大学」というステージが垣間見えました。説明会のお褒めの郵便物が、私に大学で教鞭を取らせる話に繋がったようです。
信州大学の院生は長野県内の経営者たちで、特許法、実用新案法、意匠法、商標法、著作権法、不正競争防止法などの基礎的な事項の話をするだけで反応がもの凄かったです。「もっと早く知的財産制度を知りたかった」、「知っていればビジネスが変わった」、「どうしてこんなに大事な制度を早く教えに来ないのか」という叱責も含まれていました。ここでも「5分で分かる」シリーズでお話しました。法律を長々説明されても理解するのは困難ですから。
同年11月には東京大学の先端研究センターで講義をするように頼まれ、お蔭様で好評で、日本初の知財DVD教材(PHP研究所)を出版することになりました。教材には、3Dプリンターの発明者の小玉秀男さんのビデオなども収録されています。先見の明があったと自負しています。機会があったら御覧下さい。
<地域資源>
特許庁の審査官でしたが、いろいろな大学から講義依頼が殺到し、出版物も出すようになったらだんだん役所の仕事とのバランスが難しくなってきました。ちょうどその時、2003年10月から政策研究員大学院大学に出向する話が浮上しました。審査室の後輩たちに泣かれたのが一番辛かったですが、新しい世界を覗くことにしました。
この大学院は日本人と外国人の院生が半々で、ほとんどが公務員と言うのが特徴のユニークな大学院でした。日本人は地方自治体から派遣されています。そのため、彼らの依頼で地域での研修が増えてきました。初めて見るものばかりで、出張の度にワクワクしていました。「地域資源」の可能性を確信しました。
その後、2005年4月に母校の理科大学が専門職大学院に知的財産戦略専攻(MIP)を創設したので、公務員を辞め、大学の教員になりました。 2007年4月からは放送大学の客員教授を併任しました。テレビ教材なのでビジュアルに、法律を語らず、知的財産と社会の関係を教えてくださいとの御依頼でした。 広島県の「熊の筆」、福岡県の「博多万能ねぎ」、石川県の「白山」など、多くの地域資源を入れた教材としました。工業以外の「農業」や「サービス産業」も知的財産制度の主体であるとする教材となりました。当時は変わった切り口と言われましたが、当たっていたと思います。
<農業、伝統技術>
放送大学の取材や地域での講演の際、「農業」と「伝統技術」の可能性の高さを感じました。現在、農業は「攻めの農政」に転換し、南部鉄器などの「伝統技術」も知名度を上げています。これらもますます重要になるでしょう。
EUでは農産品だけでなく、伝統工芸品を「地理的表示保護制度」で保護する動きが始まっています。
農業も工業も同じ知財制度で保護される事例がまた一つ増えました。
2023年6月から企業の社外取締役として企業経営に直接かかわっています。
日本企業は新しい経営管理の考え方に移行している段階と実感しています。
2024年時点、IMDの世界ランキングで38位に落ちている日本ですが、今から巻き返すチャンスが来ます。
志を高くして、日本と世界を良くするビジネスを一緒に考えましょう。