加藤 晃 教授 Akira Kato
「リスク」と「機会」の
視点で、ビジネスを捉える!
防衛大学校(国際関係論)卒業/青山学院大学大学院博士後期課程修了、博士(経営管理)。貿易商社、AIU保険会社(アンダーライター・MOF担・経営企画部・グループ会社代表取締役社長・戦略プロジェクト責任者を歴任)、愛知産業大学教授を経て、2020年より現職。2024年4月より京都大学経営管理大学院の特命教授を兼務。経済産業省ISO/TC322(サステナブルファイナンス)国内委員・日本代表エキスパート。事業創造大学院大学非常勤講師(2012年~2019年)、青山学院大学大学院非常勤講師(2015年~2020年)。リスクマネジメントおよびサステナビリティの視点から、実践的な経営戦略・情報開示を研究。
<出版物>
単著に、『CFO視点で考えるリスクファイナンス』(保険毎日新聞社)、『保険マーケティングの発見』(同)、共著に、『盾と矛』(幻冬舎)『サステナブル経営と資本市場』(日本経済新聞出版社)、『ガバナンス革命の新たなロードマップ』(東洋経済新報社)、『バックキャスト思考とSDGs/ESG投資』(同文舘出版)、『テロ・誘拐・供養伯 海外リスクの実態と対策』(同)、『情報と職業 改訂3版』(日本教育訓練センター)、監訳書に、『サステナブル投資 本音で語る課題と機会』(金融財政事情研究会)、『サステナブルファイナンス原論』(金融財政事情研究会)、『社会を変える インパクト投資』(同文舘出版)。その他、論文・論考多数。
教員の志史
―好きな言葉は、Where there’s a will, there’s a way.
― 大学生の頃まで
生まれ育ちは横浜ですので、一応、浜っ子です。高校は水郷で知られる千葉県佐原市(現、香取市)、通学路には日本地図を初めて作った伊能忠敬の旧商家や造り酒屋などがあり、今でも趣のある町並みを残しています。自由な校風の学校で、生活面での制約は余りなく、進学校なのに特段のプレッシャーもありませんでした。中学では陸上の長距離をやっていたのですが、高校では軟式テニス部に入り、部員数が少なかったせいかキャプテンを務めました。毎日、暗くなるまで練習をする日々、3年生になっても5月の県大会まで現役、6月に全国模試を受けるまではそんな生活が続きました…。
家が裕福ではなかったので、防衛大学校(文系)を志望し、横須賀での全寮制生活が始まりました。朝は6:30の起床ラッパで起き、雪が降っていても寒風吹きつける中、上半身裸で乾布摩擦をしながらの号令調整(発声練習)に始まる一日中分刻みのスケジュール、正直のところ上級生のいない教室に入るとホッとしたものです。防大を紹介するマスコミは、特徴である訓練風景を撮影しがちですが、それはほんの一面です。当時、SECIモデルで世界的に名を馳せることになる野中郁次郎先生をはじめ、『失敗の本質』の共著者である戸部良一先生・村井友秀先生、論客である佐瀬昌盛先生、後に学校長となられる西原正先生…など素晴らしい教授陣で知的好奇心を刺激されたものです。また、全国から集った同級生との交わりで、物事の捉え方、論理展開、リーダーシップ面で学ぶことが多く、充実した4年間だったと思います。ただし、もう一回やりたいかと問われれば、即答できませんが…。
ビジネスパーソン、そして大学院での学び
悩んだ末、先輩が経営する貿易商社に就職しました。中小企業ながら、企画・営業力があるので某一部上場企業を実質的に下請けにしているような会社でした。入社した頃は、主に業務用電卓をOEM輸出していたのですが、家電の制御用に開発された4ビットのワンチップ・マイコンの性能(処理速度・メモリー容量)が飛躍的に向上したことから、ソフトを入れた専用機を開発できるのではないかということになり、担当することになりました。米国やドイツで開催されたビジネスショーに出店するなど営業活動をしたところ、読みが当たっていくつものプロジェクト受注に成功しました。俄セールスエンジニアとして順調に仕事をしていたのですが、プラザ合意によって、1ドルが240円前後から100円を切る円高に襲われました。輸出専門商社ではどうにもなりません。止む無く、全く異なる業界ですが、外資系大手の損害保険会社に飛び込む決断をしました。
AIU保険会社(米国AIGグループ企業)に入社すると、傷害保険業務部という部署にアンダーライターとして配属されました。業界外の方には分かり難いかと思いますが、本社の業務部とは、保険商品の企画・開発から引受け実務、収益管理等を行うプロフィットセンターで、保険会社の中枢です。今でも鮮明に覚えているのですが、入社初日に部長から「今はわからないと思うけど、貴方は大変良い部署に配属されたのですよ。営業、システム・事務、損害査定・法務、財務運用、監督官庁、業界団体…との関わりを通して会社全体のオペレーションを学べます。大変だとは思いますが、頑張ってくださいね。」と言われました。アンダーライターとは各種データを分析して収益の上がるビジネスを担う職務で、営業現場を担当しました。利害を異にする他部署及び社外との調整・協調、交渉・説得、時には戦いを通じて多くを学びました。数年経って少し余裕が出てきたある日、偶然手にした英字フリーペーパーに社会人大学院の記事を見つけました。
青山学院大学MBAに合格したのですが一つ問題が起きました。実は、会社には内緒で通おうと思っていたのに、修学期間中は転勤させない旨の一筆を人事部から取り付けるという条件が付いていたのです。人事部長に恐る恐るお願いに行ったところ、快く了承頂き、オマケに制度がなかったにも拘らず企業派遣扱い(入学金・授業料・通学費支給)にしてもらえました。お陰で5時を過ぎると堂々と通学することができました。5時までに仕事を片付けるのは当然のことですが、上司・同僚、そして家内の理解・協力がなくては続かなかったと思います。大学院ではマーケティング科目を中心に受講し、後に拙著『保険マーケティングの発見 無形商品の売り方』(1997、保険毎日新聞社)に結実します。当時の修了要件は、修士論文またはマネジメントシミュレーションがありましたが、私は後者を選びました。これは提携している米国カーネギーメロン大学院が誇る本格的なビジネスゲームです。詳細は省きますが、たかがゲームじゃないかと思うことなかれ。模擬取締役会、業績を踏まえた本物の銀行員との借り入れ交渉、アニュアルレポートの作成まで含む大変なゲームです。石倉洋子先生・諸井勝之助先生・中川敬一郎先生・小林健吾先生…素晴らしい教授陣に恵まれました。社会人大学院の良いところは、実務に根付いた問題意識を持った人が集まるということです。基本的に、自分の意志で、自分のお金と自分の時間を投資するのですから、真剣そのものです。年齢的には20代後半から上は60代、女性も多く、何より様々な業種・職務・職位の人が、会社にありがちな柵を越えて交わるということです。これは得難い財産(人的ネットワーク)です。気の合う同窓生とは、今でも毎年欠かさず懇親会を行って親交を深めています。
大学院を修了して職場にフル復帰すると、労働組合の役員から支部執行部の次期副委員長(給与対策担当)になって欲しいとの打診を受けました。経営陣との団体交渉、組合員とのコミュニケーションの難しさなどを痛感しました。程なく、課長に昇進、担当する大蔵省の主な業務は独自新商品の許認可や検査対応でした。時は、金融ビッグバン(自由化)前夜で、業界を支配するルールそのものが大きく変わろうとするタイミングに遭遇したのです。新商品開発や業界他社対応などの場面では、大学院での学びをフル活用して大きな成果を残せました。その後、AIGグループ内で生損保のクロス・マーケティング会社設立プロジェクトから声が掛かり、損保側のメンバーとして参加(出向)しました。主力は生保アリコジャパン側のはずだったのですが、運命の悪戯か代表取締役社長に就くことになり、ニューヨーク本社、生保側日本人経営層、泥臭い営業現場の間でこれまた得難い経験をしました。 AIUに帰任、経営企画部では担当部長として富士火災のポストマージャー、その他M&A関連に従事。その後、AIGグループ内のシナジー効果を目的としたプロジェクトの為にAIG(株)に出向してキャプティブ再保険会社の設立などに取り組み、知識・経験を蓄積することができました。
AIUに復帰して新規事業開発を担当する部門長としてトップセールスにも同行して商談をまとめるなど自らも動き、また代理店を上手く巻き込むために研修や講演をする機会に恵まれました。業務の傍ら、青山学院大学の博士課程に入学、北川哲雄先生のゼミに所属させて頂き、ファイナンス・情報開示という新たな研究領域が広がりました。博士論文は「配合剤の日米比較」をテーマに研究を行い学位を取得しました。こうして振り返ってみると、人生の節々で様々な方と出会い、また、自分のキャリア形成に大学院での学びが大きく関わっていることを再認識する次第です。
研究者・教職の道へ
学位取得後、業務の傍ら2012年から事業創造大学院大学MBA(リスクマネジメント論担当)、2015年からは青山学院大学MBA(ヘルスケアマネジメント担当)で非常勤講師を務め、2016年に愛知産業大学経営学部教授(経営戦略論・起業論等担当)に転じました。縁あって、2020年4月より、本学MOTにおいて、専任教授として赴任、経営戦略論関連科目およびゼミを担当することになりました。「人生、山あり谷あり」と言いますが、身につけた知識・経験は自分のものです。きっと、貴方のキャリア形成に役立ち、社内外(含む人材市場)における貴方の交渉力を高めるはずです。
本専攻においては、これまで培ってきた人脈を活かし、ビジネス経験とアカデミックを融合した実践的な教育を行いたいと思っています。勉強を始めるのに、年齢・性別・立場は関係ありません。だから、 Where there’s a will, there’s a way. Let’s try !