専任教員

Robert Alan Feldman 教授

経済学で「 温故知新」、「察来逆算」、 競争に勝ち抜く

[経歴]
1971-1976 Yale Universty New Haven,CT,USA / 1978-1984 Massachusetts Institute of Technology Cambridge,MA,USA / 1976-1977 Federal Reserve Bank / 1977-1978 Chase Manhattan Bank / 1981-1982 Bank of Japan / 1983-1989 international Monetary Fund / 1989-1997 Salomon Brothers Asia Securities / 1998- Morgan Stanley MUFG Securities〈著書〉『 フェルドマン博士の日本経済最新講義』(文芸春秋社)、『フェルドマン式知的生産術』(プレジデント社)、『一流アナリストの「7つ道具」』(プレジデント社)

[担当授業科目]
・ 世界の中の日本とアジア 
・ 意思決定の経済分析 
・ アドバンスド経済分析

Robert Feldman先生の活動一覧

投稿はありません。

志史 ~私の歴志~
─ 人生の八割は橋渡し役。丈夫な靴を履こう。 ─

テネシー州で生まれたが、生まれたときから科学の世界に囲まれていた。化学を勉強した父は第二次世界大戦中に徴兵され、その三週後には行き先のわからない電車に乗る命令が下った。それはまさに原子爆弾開発・製造の「マンハッタン計画」だった。終戦後、父は民営化された研究所に残り、小生は科学の町に生まれた。住民のほとんどが研究所関連の仕事に従事していた。科学の町の偉い人というのは、金持ちではなく、認められた科学の分野で新しい発見をした人だった。このような環境下で育ったおかげで小生は、科学者を尊敬するという基盤が培われた。一方、小生は性格上、研究所で長い時間を費やして研究結果を待つことができないタイプだった。その後、科学と社会の関係に興味を持ち始め、自然科学と社会科学の橋渡し役の仕事が始まった。

日本との関わりについて。マンハッタン計画に関わった父を通じて、ある意味生まれる前から日本との関係があったのかもしれないが、初来日は16歳の時だった。名古屋の南山大学の付属高校への一年間の留学だった。日本とは恋に落ちたと言っても過言ではない。理由はいくつかあったが、一つは言語だった。もともと言葉遊びが大好きな家庭で生まれ育ったが、日本語ほど駄洒落やオヤジ・ジョークができる言語はない。もう一つは、異文化との接触ほど重要な教育上の経験はないからだ。日本の土を踏んで、「日本と米国が二度と不幸な関係にならないように役に立ちなさい」と父が口にしていた言葉の意味が大きくなった。あのような不幸なことが二度とないような世界を作らないといけない。平和をどう実現するかを色々な観点から考えないといけない。世界と日本の橋渡し役の仕事が始まった。

大学に入って色々な科目に接したが、人間には希少資源を巡って生まれる争いが多いと言う事を学んだ。その通りだと思い「希少資源の最適利用を対象とする学問」である経済学をライフ・ワークにしようとした。マクロ経済学もミクロ経済学も勉強したが、資源は決まった量しかないというモデルが多かった。しかし、どこだったかは思い出せないが、技術が進めば希少だった資源はもう希少ではなくなる、という事実に接した。原油市場の専門家が「石器時代が終わったのは、石がなくなったからではない」と言っていたが、それはすなわち、技術革新と経済学の関係は深いということだ。技術革新によって経済の束縛がなくなるわけだ。このようにして、技術と経済学の橋渡し役の仕事が始まった。

大学院で経済学を勉強しようと思った時に、技術との関係がわかる学部を探すのが得策だと思った。そうして選択したのはやはり、ボストンにあるMIT(マサチューセッツ工科大学)だった。経済学部には素晴らしい先生がたくさんいた。特にすごいと思ったのはロバート・ソロー先生だったが、彼は成長理論の第一人者だった。技術革新を経済学に美しく導入させたのであった。彼の学問によって、小生のいくつかの興味・関心事項が一つになった。日本はなぜ成長できたかを彼のモデルで勉強ができる、と思った。そして、日本史と経済学の橋渡し役の仕事が始まった。
博士号を取得し、国際通貨基金に入って世界中の国々(ソロモン諸島をはじめミャンマーからスイス、ドイツまで)を回った。富裕国と貧困国の違いは、技術水準にあると思った。ある国は技術水準が高く普及していて、ある国は低く普及していない、という現象を目の当たりにした。一方、せっかく日本についての知識を持っているから日本に戻ったほうがいいとも思った。日本から、しかも技術革新の原資を提供する金融界から、技術普及のプロセスを見てみようとした。世界の投資家と日本経済、日本の投資家と世界経済という二つの橋渡し役の仕事が始まった。

純粋なマクロ経済が強調される債券部での仕事はもちろんあったが、むしろミクロに近い株式調査部にもかなり仕事があった。長期投資はやはり技術が原点であると思った。「日銀は来週何をするか」というような短期的なことから、次の技術革新はどこだ、その次はどこだ、ということに段々と興味を持ち始めた。このように、短期的な債券運用者と長期的な株式運用者の橋渡し役の仕事が始まった。
そこで、経済学の成長理論の不十分な点が明らかになった。株式アナリストと一緒に仕事をしているが、マクロ成長モデルでは、技術(全要素生産性という)革新の速度は、時間の関数であるという前提が多い。「なんとか広がるよね」という、極めて満足できない前提を基にしていることが多い。一方、株式アナリストはもちろん企業の財務諸表を分析するわけだが、各企業がどのような設備投資をどのタイミングでどれだけ導入するかを細かく見ている。ミクロとマクロの関係はまさにここにある。3.11の大震災後は、エネルギー問題が深刻になり、この分野のマクロとミクロの関係が極めて重要になった。それから3年かけてエネルギーとGDP の関係をサプライ・チェーンの中で考えた要約レポートを書いた。マクロ経済学とミクロ経済学の橋渡し役の仕事が始まった。
たまたま2016年に、ボストン時代に一緒に勉強していたクスマノ先生に、友人の紹介で東京で再会することができた。奇跡だった。ずるいと思われるかもしれないが、理科大へ行けば、より近くでこの技術プロセスを勉強できると思った。「小生に何か貢献できることはないですか」とお聞きしたところ、「あるよ」という返事だった。このような経緯から理科大で教えることになった。小生がこれまでたくわえた経済学の知識を働き盛りの方々に伝え、逆に彼らの経験と洞察もいただける。少し古いかもしれない小生の米国での経験と、より最近の日本での経験との橋渡し役が始まった。
小生の人生の八割は橋渡し役だろう。経済の知識、技術の知識、ビジネスの知識という三種類の良い靴を履けば、足が痛くなることはないだろう。

専任教員

  1. 淺見 節子 教授

    淺見 節子 教授

    日本の優れた技術をグローバルに知財で活かす

  2. 荒木 勉 教授

    荒木 勉 教授

    SCMの大家でRFID/ロジスティックスの第一人者

  3. 山崎 知巳 教授

    山崎 知巳 教授

    政策を実践に取り込み、イノベーションを創出

  4. 石橋 哲 教授

    石橋 哲 教授

    事業・組織再構築にかかる計画策定・意思決定工程を研究しています。

  5. 荻野 誠 教授

    荻野 誠 教授

    大手電機で30年、経営×知財を考える国際技術交渉のプロ

  6. 生越 由美 教授

    生越 由美 教授

    先端・伝統技術&日本文化からビジネスの優位性を構築する

  7. 橘川 武郎 教授

    橘川 武郎 教授

    専門は経営史・エネルギー産業

  8. 坂本 正典 教授

    坂本 正典 教授

    MOT創設からの大ベテラン

  9. 佐々木 圭吾 教授

    佐々木 圭吾 教授

    ナレッジマネジメントの視点から、組織・戦略を研究

  10. 日戸 浩之 教授

    日戸 浩之 教授

    コンサルティングの現場から、マーケティングの理論・実践を革新する

  11. Robert Alan Feldman 教授

    Robert Alan Feldman 教授

    経済学で「 温故知新」、「察来逆算」、 競争に勝ち抜く

  12. 宮永 博史 教授

    宮永 博史 教授

    コンセプト×技術×ビジネスモデルでイノベーションを

  13. 宮永 雅好 教授

    宮永 雅好 教授

    会計・ファイナンス、企業法務、情報開示の専門性を統合した経営を

  14. 若林 秀樹 教授

    若林 秀樹 教授

    シンクタンク、アナリスト、ファンド等の立場から電機業界中心に30年分析と提言

  15. 岸本 太一 講師

    岸本 太一 講師

    国内外数百社を訪問調査。現場を軸に理論構築

PAGE TOP