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宮永 雅好教授 志史 -Let’s get it stared-

2017/09/04掲載

東京の下町に生まれ、ガキ大将だった少年時代
私は東京の下町で生まれで、下町に育ち、小学校では野球や水泳、剣道、ボール競技に明け暮れて、中学受験などどこ吹く風と、夏は真っ黒になり、冬でも半袖半ズボンで遊びまわっていたのは、昭和30年代から40年代にかけてのよき思い出です。いまでも「Always 三丁目の夕日」の単行本を読むのか楽しみで、小学校時代から好きだった落語を聴きに寄席に通うのも貴重な息抜きの時間です。

小中学校時代は理数系科目が大好きで、いつも上の学年の参考書を買っては問題を解いていたので、学校の授業は退屈で隣の友達とのおしゃべりに勤しみ、担当の先生からはいつも目をつけられていました。父親は理科大(正確には物理学校)出身で高校の数学と物理の教師でしたが、私が小学校に入った年に急逝し、母は父親が十分にできなかった学問の研究を私にはさせてやりたいと、「教育にかけるお金はあっても、遊びに使う金はない」と言われ育てられました。

高校時代には国語の名教師に出会い、小説家志望だったが・・・・
学生時代に私が最も大きな影響を受けたのは、高校時代の現代国語の石丸久先生でした。私は受験勉強よりも好きな学科やスポーツに打ち込めるようにという母の勧めで、大学までエスカレーターの付属高校(早稲田大学高等学院)に進学しました。石丸先生の授業はひたすら純文学や詩歌の名作を読んで愉しむことと漢字の持つ意味をしっかり学ぶことのみの指導で、週に3~4冊の本と日々の新聞や文芸雑誌を大量に読みこなすことで、日本語の基礎をしっかりと身に付けることができたように思います。何度か試しに受けた駿台の模試では国語はいつも成績優秀者に名前が載りました。小中学校では国語は最も嫌いな科目であったことを思うと信じられない成果でした。
一方、高校時代に一番苦手な科目は英語でした。単語を覚えるのがめんどうで、また動いていない時は、だいたい小説を読みふけっているので、英語の文章を読む気にはなれず、将来は哲学科か仏文科を出て小説家になるのもいいな、などと勝手な妄想を抱いていました。そんな文学青年を気取っていながら、大学は実務に役に立つ法律に進み、理数系と文学系は法学部を出てから学士入学でもすればいいと、親から許されたモラトリアムを楽しむつもりでした。しかし、大学4年の夏頃になると周りはそろそろ就活でもするか、という雰囲気になり、自分もせっかくだからいくつか冷やかしにいくか、という気分で受けた銀行等から内定をもらい、周りに流されるように少し働いてみるか、という感じで日本債券信用銀行に就職しました。日債銀は銀行と言っても都市銀行や地方銀行のような齷齪した雰囲気はなくおっとりしており、居心地がよく、4年目には希望した証券部に配属され、債券や株式への投資業務を経験することになります。

英国での資産運用経験から転職を決意
1980年代の日本の証券投資の世界は、入ってみると暗黒大陸でした。理論は全て英米からの輸入で、4大証券や興銀が日本の証券界の実力者でしたが、米系の投資銀行からみるとまるで素人集団。これは先進国から学ぶしかないと思い立ち、英語の文献にあたり、海外の投資運用業務の勉強を始めているうちに、銀行の上から海外の有力資産運用会社と業務提携をするよう指示が発せられ、当時英国の上位Best5に入る大手運用会社であるGartmore社が最終候補となりました。そこからの細かい交渉は現場に任せるとのことで、いつしか交渉窓口担当になり、毎晩電話やFAXでのやり取りが始まりました。こうなると英語が嫌いとか言っている場合ではなく、必死に契約書を読んで修正したり、交渉で相手方とやりあっているうちに何となく英語を話したり読み書きするのが苦にならなくなりました。ほどなくして、設立したロンドンの合弁会社に派遣され、英国人のプロフェッショナルと一緒に働くうちに、投資の世界に非常に大きな関心をいだくようになりました。そして、派遣が終わって帰国してからは、日本の銀行に全く魅力を感じなくなり、英国の大手運用会社であるシュローダーに転職しました。

皆さんに使えたいことが3つです。
さてこのあとの私の人生の歩みをさらに書いていくと止めどもなくなるので、今日はこのあたりで終わりにして、以上の経験から得られたことを3つにまとめてみました。皆さんの糧になれば幸いです。
第一に、何よりも基礎をしっかり作ることです。私の未熟だった国語力は石丸先生の教えにしたがった徹底した読書量と漢字の勉強が克服してくれました。
第二に、「習うより、慣れろ」です。嫌いな英語も必要に迫られれば、自ずとできるようになります。英語と同様に会計も社会人になりたての頃は全くわかりませんでしたが、投資のために企業分析をするようになり、必要に迫られて理解し、使えるようになりました。
第三に、世界で勝負することの大切さです。日本の自動車産業も今では世界トップの実力をつけましたが、欧米から学び世界で勝負してきた成果です。やはり、一流を目指すなら、一番優れた国や組織に飛び込んでいくことです。

さて、日本の経営専門職大学院が目指す最大の目標は、「より良い経営を実践できる人材の育成」です。特に本学においては、経営と技術の融合を標榜しており、伝統的な技術系企業である製造業を始め、IT関連、サービス業など様々な業種の企業に勤める幹部、幹部候補の学生が日々自らの課題について様々なアプローチから取り組んでいます。平成30年からは、世界でも一流といえるMITスローンのノウハウをベースに、グローバルで勝負できる人材を育成できるよう、生まれ変わったカリキュラムと豊富な経験を持つ教員陣で、基礎をしっかり身に付け、実践で使えるような教育とさらなる研究を進めていくことが私たちの使命です。皆さんと一緒に世界に羽ばたく経営者を神楽坂からどんどん排出していきたいと願っています。
理科大MOTがスタートした2004年にヒットしたThe Black Eyed Peas の歌のように、みんなで一緒に“Let’s get it stared”

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